こけしについて
『こけし』の歴史
近江国蛭谷(おうみのくにひるたに)(現:滋賀県東近江市)で惟喬親王(これたかしんのう)が承和11年(844年)に木工技術「ろくろ」を伝えたのが木地師のはじまりであると伝えられています。
江戸時代末期文化文政(1804〜1830年)の頃、木地師たちがろくろを使って木製の道具(お椀、お皿、お盆など)を制作していました。
諸説あるようですが、東北に来た木地師が子供に木の人形を作ったのが始まりとされていて、温泉に湯治に来ていた人達がお土産に木の人形を購入し、こけしは子供の遊び道具として広まっていきました。
『こけし』はお祝い人形
こけしは子供の健康と成長を祝う人形で、こけしの頭に描かれている赤い模様は「水引手」といい、京都の「御所人形」に発していて、お祝い人形として創案されました。
この模様を導入したこけしは幕末期(1862年)の記録には子供の手遊びの「木地人形・こふけし(こうけし)」と記されています。「こうけし」とは「子授けし」を意昧したものだと云われています。
『こけし』の名前の由来
東北各地に伝わる木地人形の「こけし」は、地方によって「きぼこ」「でこ」「でく」「こげす」「こうげし」などと様々な名称で呼ばれ、こけしの話をする時などたいへんでした。
昭和15年(1940年)鳴子温泉で「東京こけし会鳴子大会」が開催され、こけし工人・関係者が集まり「こけし」とひらがな三文字に統一されました。
『鳴子こけし』の特徴
嗚子こけしは首が鳴ります。首がはめ込み式になっているためです。胴と頭をつなげる時、ろくろを回し摩擦熱で入れています。
日本こけし館の紹介
この地に日本こけし館が誕生したのは、昭和28年に詩人で童話作家の深沢 要さんのコレクションが鳴子町(現在の大崎市)に寄贈されたことと、昭和32年から毎年、全国の工人たちからこけし祭りへの奉納こけしが贈り続けられた事が、大きなきっかけとなりました。完成までに7年の歳月を費やし、昭和50年に開館。こけしをこよなく愛する人々の思いと夢が結実しました。
こけし店の紹介
街中こけしスポットの紹介
(街中以外でも・・・)
鳴子警察署こけし、岩下こけし資料館巨大こけし、松田工房の顔のみこけし、川渡温泉橋のこけし、セブンイレブン裏のレトロなこけし電話ボックス